水戸地方裁判所 昭和27年(行)14号 判決
原告 矢口保房
被告 茨城県農業委員会
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
第一、当事者の申立
原告訴訟代理人は、「水戸市袴塚町巡見三〇七八番の一山林(現況畑)一町一反八畝二十二歩について、水戸市農業委員会が樹てた農地買収計画に対する原告の訴願につき被告が、昭和二十七年四月二十三日なした裁決はこれを取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」旨の判決を求め、被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。」との判決を求めた。
第二、当事者の主張
一、原告の請求原因
(一) 請求の趣旨掲記の土地は、もと訴外坂場直好の所有であつたが、昭和二十一年一月二十一日附で臨時農地等管理令第七条ノ二所定の知事の許可を受け、同年三月中同人より原告が買い受け、原告の所有となつた。訴外水戸市農業委員会(以下市農委と略称する)は、昭和二十六年十一月二十二日、右土地が昭和二十年十一月二十三日現在の事実によれば不在地主坂場直好所有の小作地に該当するとして自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する)第六条の五により買収計画を樹立し、買収期日を昭和二十七年三月一日縦覧期間を昭和二十六年十一月二十七日より十日間と定めて公告した。よつて原告は同年十二月二十六日、市農委に対し右買収計画を不服とする異議を申し立てたが、昭和二十七年一月十九日却下となつたので、更に同年二月十九日、被告委員会に訴願したところ、同年四月二十三日訴願棄却の裁決があり、同日裁決書の謄本の交付をうけた。その間市農委は同年三月十五日前記買収計画の買収期日のみを同年三月三十一日に変更した。
(二) しかしながら、右の裁決処分は次のごとき違法があるから取り消されるべきである。即ち、
(1) 自創法第六条の二、第六条の五のいわゆる遡及買収の規定は、昭和二十年十一月二十三日の過去の事実に遡り、当時適法に農地の所有権を取得していた者から、其の後に制定された同法の規定によつて、農地の所有権を剥奪するもので、これは法律の遡及効を認めるものである。しかしながら憲法第三十九条は、たゞに刑事罰についてのみでなく、法律不遡及の原則を明示したものであるから、自創法の前二条の規定は憲法第三十九条の趣旨に反し無効である。従つて自創法第六条の五によつて樹立された本件土地の買収計画は違法である。
(2) 本件土地は、昭和二十年十一月二十三日当時、訴外宮原延吉、同滝田甚右エ門、同矢部芳、同渋沢藤吾らが当時の所有者坂場直好より賃借耕作しており、坂場がいわゆる不在地主であつたという事実に基き買収計画が樹立されたものであるが、同人らは坂場から正当に賃借していたものではないから同人等が右基準日に賃借権を有していたことを前提とし同法第六条の五に基き樹立された買収計画は違法である。
(3) 本件土地は、昭和九年三月二十九日内務省告示第一六一号をもつて、水戸市都市計画区域に編入され、更に昭和二十三年四月十七日建設院告示第九〇号をもつてなされた水戸市特別都市計画地域の指定にあたり住宅地区に指定されたものであり、水戸市の都市計画上農地としての価値は消滅し、住宅地としての利用価値が増大しており、近く土地使用の目的を宅地に変更するを相当とするもので、自創法第五条第五号に該当し、買収をなし得ない土地である。しかるに市農委は右の事実を無視して本件買収計画を樹立したもので、この買収計画は違法である。
(4) 自創法第六条の五のいわゆる職権による遡及買収の計画を樹立するには、市町村農業委員会は、同条第三項に規定するように、農地買収計画を定めることの可否につき、特に審議をしなければならない。本件においても市農委は前記(3)のような事情があることを考慮して、本件土地の買収が水戸市の農地政策上必要であるか、更に自創法第一条の趣旨に合するか否かを慎重に審議して買収計画を樹てねばならなかつたのに、かゝる点について審議をせず、漫然計画を樹てたものであるから、その手続に瑕疵があり、本件土地の買収計画は違法である。
(5) 本件土地が、仮りに近く土地使用の目的を変更するを相当とせず、自創法第五条第五号の土地にあたらないとしても、(3)に述べた如く水戸市都市計画区域に編入され、更に住宅地区に指定されており、従つていずれ将来は農地たることを廃止せなければならぬ運命にあるものというべく、現在においても三百数十万円の価値を有するものである。しかもその西側隣地には常陸紡織株式会社(旧矢口紡績株式会社)の工場及び事務所があり、同社工場拡張の際には不可欠の土地である。又本件土地の耕作人宮原延吉ら四名は本件土地について基準日たる昭和二十年十一月二十三日当時坂場直好に対し適法な賃借権を有しなかつたことは前述の如くであり、又その後原告との間においても賃貸借契約を結んだものではなく、原告に対し小作料の支払もしておらず、自創法によつて擁護するに価するような耕作者ではないのである。更に原告が前主坂場より本件土地を買受け、その所有権を取得するについては、昭和二十一年一月市農委の意見を付して茨城県知事の許可を受けたもので、市農委はその取得に異議を述べず賛同していたものである。以上の事実を綜合すれば、本件土地は職権をもつて買収する程の必要性がないのに、市農委は敢て買収計画を樹てたものである。本件土地のうち九反八畝十五歩については、先に市農委(当時農地委員会)において、宮原、滝田、渋沢の買収請求に基くものなりとして自創法第六条の二を適用し、昭和二十三年一月二十九日買収計画を樹立したことがある。原告は右三名が不法占有者であり、正当な賃借権者でないことを強調し、右買収手続を争うため取消訴訟を提起したところ、該計画は取消となり原告もまた右訴訟を取り下げた。市農委としては、一旦買収を企図した以上これを遂行しなければその面目を失するものと考え、前記のような諸点に目をおおい、自創法第六条の二請求による遡及買収では不適法とされるおそれあることを考慮し、同法第六条の五の職権による遡及買収の規定により本件買収計画を樹立したものと思われ、かくの如きは著しく妥当性を欠き買収権の濫用ともいうべき場合であるから、本件買収計画は違法である。
以上のように、本件土地の買収計画は違法であるから、原告の不服訴願に対し、被告のなした訴願棄却の裁決は取り消されるべきである。
二、被告の答弁
(一) 原告主張の請求原因中(一)の事実は認める。
(二) 本件土地の買収計画が違法であるとの点は否認する。
原告主張の(1)については、自創法の遡及買収は、買収の要件を唯単に過去の或る一時点の事実に係らしめたものであつて、法律遡及の問題として解すべきではない。更に又、憲法第三十九条は、刑罰法規不遡及の原則を宣言したものであつて、民事関係、その他刑罰法規以外にまでその適用を強制するものではなく、これらについては、公共の福祉が要請する限り遡及してこれを変更することができると解すべきである。自創法にいう遡及買収が、刑罰であるとの前提が肯認されない以上、違憲の根拠を憲法第三十九条に求める原告の主張は採用すべき限りでない。
(2)については、昭和七年九月頃、当時の所有者坂場直好より宮原は本件土地の中約四反四畝歩、渋沢は約三反三畝歩、滝田は約二反二畝歩を鍬下二年(即ち二年間は無償)その後は賃料一ケ年反当り四円五十銭(昭和十三年頃反当り七円に変更)とし、期間の定めなく、又矢部は昭和九年五月頃本件土地の中約一反七畝歩を同じく坂場より賃料期間は宮原らと同様で夫々借り受けたもので、いずれも昭和二十年十一月二十三日当時耕作していたものである。そうして坂場は当時水戸市外なる茨城県那珂郡柳河村に居住していたものでいわゆる不在地主であるから、右基準日の事実によれば本件土地は不在地主の所有する小作地であり、その後所有者が水戸市居住の原告に変つたのであるから、遡及買収をなし得べき場合に該当する。
(3)については、本件土地が水戸市都市計画区域に編入され、又住宅地区に指定されていることは争わないが、現在水戸市に施行されている戦災復興土地区画整理施行区域内には含まれておらず、周囲の状況よりみても近く土地使用の目的を変更するを相当とする土地には該当しない。
(4)については買収計画樹立の時審議がなされており、他に特別の審議を要するものではない。
(5)については原告が本件土地の所有権を取得するについて茨城県知事の許可を受けたことは争わないが、原告は右許可申請に際し本件土地について永年前主坂場から賃借小作していたものである旨詐称して許可を得たものであり、市農委はこれについて関与していない。又市農委が先に樹立した買収計画を違法であるとして、原告が行政訴訟を提起し、その訴訟の係属中、右買収計画が取り消され原告が訴を取り下げたことは事実であるが、右は買収土地が一筆の土地の一部であり(矢部芳の耕作地域は含まれていなかつた)買収計画上買収地の地域が不明確であつたゝめであり、宮原、滝田、渋沢等が遡及買収の申請権者でないとの理由に基くものではない。その他買収権の濫用であるとの点は否認する。
(立証省略)
三、理 由
原告主張の(一)の事実については当事者間に争いがない。そこで市農委の樹立した買収計画につき、原告が違法の行政処分であると主張する点について順次判断する。
(二)の(1)について
原告は、遡及買収の規定は憲法第三十九条前段に違反し無効の規定である旨主張するけれども、憲法第三十九条前段は、元来刑罰法規につき、いわゆる事後立法を禁止し、刑罰法規不遡及の原則を宣言したものである。尤も、民事上の制裁についても、同条の趣旨は類推せらるべきものと解するを相当とするけれども、自創法による遡及買収は制裁ともちがうのである。そもそも自創法において昭和二十年十一月二十三日を遡及買収の基準日と定めた所以のものは、農地調整法の改正法案が右日時に新聞紙上に発表せられたためその後農地の所有者にして土地取上げ等により、所有農地の喪失を免れんとして種々工作する者を生じてきたので、その結果を是正するためにとられた措置であり、即ち右昭和二十年十一月二十三日現在における事実に基けば、農地買収要件に該当するものについては、場合により、その農地の買収をなし得る途をひらいたものに過ぎず、自作農を急速広汎に創設すること等により農業生産力を増進し農村における民主的傾向の促進を図らんとする自創法の目的達成上己むを得ないところであつたものというべく、前記憲法の規定の趣旨に反するものではない。原告の前記主張は採用することができない。
(2)について
証人小林敬三郎、同宮原延吉、同滝田甚右衛門、同矢部芳、同渋沢藤吾の各証言によれば、昭和七年九月頃当時の所有者坂場直好の代理人小林敬三郎より訴外矢部新作を介して、宮原は本件土地の中約四反四畝歩、渋沢は約三反三畝歩、滝田は約二反二畝歩を鍬下二年(即ち二ケ年間は無償)その後は賃料一ケ年反当り約四円五十銭(昭和十三年頃反当り約七円に変更)期間の定めなく、又矢部は昭和九年五月頃本件土地の中約一反七畝歩を、同じく小林から賃料期間は宮原らとほゞ同様の約旨で夫々借り受けたもので、いずれも昭和二十年十一月二十三日当時坂場の小作人として耕作していたものであることが認められる。他に右認定を左右するに足る証拠はない。昭和二十一年三月本件土地の所有権が坂場から原告に移つたことは当事者間に争がなく、坂場が水戸市在住者でなかつたことは原告も明らかに争つていないから、従つて本件土地は昭和二十年十一月二十三日当時と買収計画樹立当時とにおいて所有者が異り、右基準日の事実によれば不在地主の所有する小作地に該当するのである。市農委は、この事実に基き自創法第六条の五により、買収計画を樹てたものであるから、この点につき何らの違法もない。
(3)について
成立に争いのない甲第二号証と証人山本敏雄、同鈴木鉄郎の各証言及び検証の結果によれば、本件土地は昭和九年水戸市都市計画(一般都市計画)区域に編入され、更に昭和二十三年主務大臣より水戸市特別都市計画地域指定に当り住宅地区に指定されたものであること、水戸市は今後西の方へ即ち本件土地の存する方面に発展していく状勢にあり、本件土地をながく農地のまゝの状態で使用していくことは水戸市の発展のため好ましくないという状態にあること、本件土地附近には、県営又は市営の住宅が集団的に多数建設されている外、本件土地の東方の道路が目下拡張工事中であることが認められると同時に一方この附近はいわゆる郊外であつて、現在のところ宅地等になつている土地よりも、田畑、果樹園等の農地がはるかに広い部分を占めていることが認められる。元来水戸市は茨城県下において政治文化の一つの中心地となつていることは否めないが、その都市的性格よりして都市としての発展の速度は目下のところ遅々たるもので、急激に人口の増加を来すべき産業あるいは施設ないしはその計画があるというわけではないことは、当裁判所に明らかなところであつて、前記認定事実よりみても本件土地はいずれ将来は住宅地となり、農地のまゝの状態で残るとは考えられないが、前記のような現在における本件土地附近の状況に水戸市の発展の進行状態をも合せ考慮すれば、一般状勢よりみて本件土地が近く宅地に使用目的を変更することを余儀なくされるべき土地であるとは認められない。又原告においてこのような一般状勢とは別に特に本件土地を農地以外の用途に変更すべき必要性にせまられているとか、そのような具体的な計画があり、それが客観的にも相当であると認められるものであるとかいうことについては何らの主張も立証もないのであるから、本件土地が近く土地使用の目的を変更するを相当とし、自創法第五条第五号に該当するとの原告の主張は採用し難い。
(4)について
成立に争いのない乙第三号証(甲第一号証)によれば、市農委は昭和二十六年十一月二十二日の委員会において、本件土地を自創法第六条の五により買収することの可否を審議していることが認められる。自創法第六条の五第三項に規定する審議は、他に更に特別の審議を要求したものではないから、計画樹立につき手続上の違法はなく、原告の主張は是認することが出来ない。
(5)について
原告は本件買収計画が甚だしく妥当性を欠き、いわば買収権の濫用とも称すべきものであるとしてその理由を種々挙示しているのであるが、本件土地がやがて将来は農地たることを廃止せらるべき可能性があるということは未だ以て自創法による買収を甚しく不相当と認むべき根拠とはならないし、本件土地の西側隣地に常陸紡織株式会社(旧矢口紡績株式会社)が存することは検証の結果により明らかであるが、現在のところその工場を拡張し本件土地を使用しなければならぬというような具体的な計画があるということの立証は一つもないのである。又宮原延吉等本件土地の耕作者が原告に対し小作料の支払を怠つたとか、原告が本件土地を坂場から買受けるため知事に許可申請をした際市農委が同意の意見を付したとかいうような事実があつたにしても、それがために本件買収計画が著しく妥当性を欠くことにならないことも明らかなところである。更に又市農委が本件土地につき先に樹立した計画を取り消し改めて本件買収計画を樹立したとしても、それが原告のいうような事情に基くものであることについてはこれを認めるに足る何の証拠もない。要するに本件買収計画が甚しく妥当性を欠き、市農委が買収に関する権限を濫用したものであるとの事実はこれを認めることができないのである。
以上のような次第で、本件買収計画が違法であるとし、被告のなした訴願棄却の裁決の取消を求める原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、第九十五条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 多田貞治 森松万英 高井清次)